黒崎宿は、かつて長崎街道東端の宿駅として江戸時代には福岡と小倉両藩の境界にあり、福岡藩では唯一の上方への渡海船(乗合貨客船)が発着する港を持つ宿場町でした。 宿内には、藩主の別館としての御茶屋(本陣)や町茶屋(脇本陣)が設けられていました。また、宿駅の機関である人馬継所、行政上の施設である制札場、関番所、郡家、代官所などが完備され、一般の旅籠屋(旅館)や商店も軒を並べていました。
この「黒崎の宿」は、今の東構口跡(八幡西区田町2丁目)から黒崎駅前の商店街(藤田銀店街〜熊手通り商店街・写真右)を抜け、西構口跡(熊手2丁目)の間にありました。
構口とは、宿場の出入り口のことで、役人が昼夜交代で詰め、行旅の監視をしていました。
曲里の松並木(写真左)は、幕府が全国の街道に松や杉を植樹させた名残で、黒崎から木屋瀬にかけて昭和20年ごろまでは多くの松を残していましたが、今はわずかにこのあたりが昔日の長崎街道の面影をとどめているのみです。
北九州市が幅20〜30m、長さ約310m、面積約8000uを「市指定史跡」として公園として整備しています。
(あし)黒崎宿「東構口跡」はJR黒崎駅から東へ約500m、鹿児島本線をまたいで北側へ徒歩15分。「西構口跡」は、駅前から南へ約300m。「曲里(まがり)の松並木」は、西構口から約150mほどです。ゆっくり歩いて、約1時間あればひと通りまわれます。
(北九州市の資料を参照) |