筑前福岡藩の領内には街道が6筋あり、そこには交通・輸送の基地として27カ所の宿場が設けられていました。長崎街道に属する宿場を「筑前六宿」といい、それ以外を「筑前二十一宿」とよんでいました。
豊前小倉から若松、芦屋、赤間をたどり、博多、福岡から唐津へと向かう「唐津街道」です。 |
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長崎街道は、鎖国時代海外に開かれた唯一の港、長崎への道で、道のりは五十七里(約228km)、小倉から黒崎、木屋瀬、飯塚、原田を経て、佐賀、長崎へ至り、街道沿いには25の宿場がありました。参勤交代の制度が確立された頃に本格的に交通整備がなされました。このうち、黒崎から木屋瀬を経て原田までを筑前六宿といい、文化的にも非常に栄えました。
長崎街道を通って、オランダ・ポルトガルなどの様々な国の異文化が江戸へ上がってゆき、同時に外国からの知識を求めて、各地から多くの人々がこの街道を下って、長崎を目指しました。 |
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